読書感想文 -オルタネートを読んで-

 

 

 

 

 

「私は、私を育てていく」

 

高校三年生、この狭い世界から旅立たなくてはならない時が近づいている。ひしひしと迫る現実に逃げるようにして私はこの物語を読んだ。どうしても、高校生のうちに読んでおかなければならないと思った。読んで、感じたことを残しておかなければと思った。

 

 

オルタネートというアプリが高校生のステータスとなる世界で、蓉たちが求めていたものは『特別』な存在という立場ではないかと思う。

高校生限定のオルタネートという一つの世界。自分を見つけてくれる人を探し、繋がりを求め、彼らは「フロウ」を送る。オルタネートを利用していなかった蓉だって結局誰かを求めている。

 

彼らの、誰かを求め、狭い世界を生きる姿にどうしても共感して、同じように苦しくなってしまう。

なぜなら私もまた、彼らと同じような世界を生きているからである。

 

 

 

高校という閉ざされたコミュニティの中で、私は幸いにもほぼ何の不満もなく3年を過ごした。

陰鬱な中学時代を自分の力で蹴飛ばして、猛勉強の末に入学した憧れの学校。誰も自分のことを分かってくれなかった環境__正しくは誰にも自分のことが分からないと信じ込んでいた馬鹿な自分___を変えたかった。中学になんてクソみたいな思い出しかない。あんな所、燃えてしまえばいいとさえ思った。

 

私が入学したクラスは少し特殊で、男女比率が少し片寄っており、3年間クラス替えはない。○組です、と言えばちょっと一目置かれる。そんな感じのクラスである。

だからといってどうということはない。特別勉強ができるかといえば別にそうでは無いし、アクティブさにも欠ける。ただ、私はそんなクラスがとても好きだった。

流行りを追いかけるわけではなく、かと言って極度に内向的になるわけでもなく、ただ、一人一人が好きなように生きている。だからきっと私のクラスにいる人の内、ドルガバの歌を知ってて歌える人なんて半分もいないだろうし、ましてや音楽に乗せて可愛く踊る動画をアップする人気のあのアプリなんて、一体何人がインストールしているのだろうか。

 

 

そういう、世界だった。

別に自分の好きなように過ごしていても、それはそれで良かった。何をどう思われるか、中学の時のように自分の行動一つ一つに過剰に気を配る必要もなかった。自分のままでいられた。

不自由なく、一人の高校生として3年間を過ごした。これ以上楽しい3年はこの先もう無いだろうとさえ、感じている。私は幸せ者だ。

 

 

 

だけど、心の底にひっそりと渦巻く満たされない気持ち。これが「特別になりたい」という感情ではないかと思う。

 

ただ特別になりたいわけではないのが厄介だ。ただ特別な存在になりたいのならば適当に彼氏作ってリア充アピールするか、もしくは見た目を少し派手にして学校に行くのもいい。学校内に限らず、どこかに自分の書いた文章を応募してみようか?話題になれば有名人だ。

 

だけど求めているのはそんなものじゃない。

 

 

特別な存在になりたい。だけど、みんなと同じでいたい。

 

高校生とは、そんな相反する二つの感情を抱えたものだと思う。

オルタネートはそんな高校生の奥底の欲望を満たすツールなのではないか。

もしも私が住む世界にオルタネートが実際に存在したのならば、私は間違いなくそれに登録し、気になる人に「フロウ」を飛ばし、校外に恋人を作っていただろう。誰かの特別な存在になるためにみんなと同じ手段を選ぶ。そうすることによってその相反する二つの欲望は満たされる。

 

だけど、それは本当に満たされたことになるのだろうか?例えば恋人を作ったとして、それはただの独りよがりではないのだろうか?

複雑に捻れ合う厄介な二つの感情は、なかなか解決しようとはしてくれない。それでも「オルタネート」の中の彼らは瑞々しく、眩しいほどに青春を駆けていく。私はそんな彼らの姿を目で追って、やるせない気持ちに駆られた。

 

 

 

私は果たして、彼らのように涙が出るほど爽やかに、何かに全力を注いだものがあったのだろうか。

蓉が料理に魅せられたように、一生懸命に部活をしたわけでもなく、凪津がオルタネートを信奉し、そこに確かな出会いを求めたようにコンテンツに身を沈めきったわけでもない。尚志が音楽にのめり込み、かつての幼なじみを追い求めたように誰かを自分の好きなことに必要としたわけでもない。何かに全力を注ぐ彼らはその対象が何であろうと、美しかった。

私は彼らのように「美しい」高校生でいられたのだろうか?

 

「楽しかった」という思いで満たされれば満たされるほどそんな疑問が溢れてくる。私はちゃんと、私を育てられたのだろうか。火をつけて燃やしてしまいたかったあのクソみたいな中学時代から、私は何か変われたのだろうか。

特別になりたい。この感情を満たしてくれるのは、何だったのだろうか___

 

 

 

この物語を読み終わったあと、1番最後のページを見た。そこには作者の経歴が書かれていた。

それを読んだ途端、ハッとした。

 

私を一瞬のうちに特別にしたもの、それは物語の作者である加藤さんの存在だった。

 

特別になりたいという感情と、みんなと同じでいたいという感情を抱え、子供と大人の間で彷徨う高校生たち。甘酸っぱくて苦しい、綺麗なだけじゃない色んな感情が混ざり合う世界で自分自身を育てる高校生たち。

彼はこの物語を「間違いなく僕の物語です」と語った。

 

ならば私は、この物語を読み、彼らに共感し、自分を振り返り、苦しみを覚える高校生の私は、オルタネートを通して加藤さんの感情に触れ、同じだと思ったことになるのではないだろうか。

 

ここに、加藤さんのファンとして加藤さんが書く物語を読むことの醍醐味があると私は思っている。

煌びやかなアイドル、手の届かない世界にいる人が、確かに私と同じような感情を抱いていた。私が憧憬の眼差しで見つめる彼は、同じ気持ちで私を「特別」な存在にしてくれた。

 

そのことに私は、「希望」を見出すのだ。

 

 

 

子供でも大人でもない中途半端な3年。どちらかというと子供よりでも許される3年。だけど大人になるための準備をしなければならない3年。

「生長するためには何かを失わなければならない」

私はこの物語を通し、自分自身の高校生活を重ね合わせ、振り返った。当事者だと思った。これは、私の物語でもあるのかもしれないとさえ思った。

そんな物語を書く彼が、私は好きだ。

 

 

この物語はこれからも、私の心の拠り所となっていくのだろう。

 

上手くいけばあと3ヶ月と少し。

私はこの物語で、私を育てていく。

 

 

 

 

 

 

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本の感想っていうよりほぼ自分の感情ぶちまけただけになってしまったので反省しています…。

出来るだけ加藤さんが書いたという事実は意識しないように読もうとは心がけてるんですけど今回ばかりはダメだった。どうしても加藤さんが書いているということが頭から離れてくれなかった。書いてる人に希望を見出してしまうのも、不本意かもしれないけど。

 

 

だけどやっぱり、加藤さんが書く物語は私にとって希望です。

本人にこの感想は届かなくていいと思うけど(純粋に恥ずかしいので)(というかそもそもこんなところにぶちまけて届くわけない)、確かに加藤さんが書く言葉に支えられている人がここにいます。

 

何回も何回もこれから読み返します。その度に今とはまた違う感想が出てきてあー!ブログ書き直したい!ってなるんだろうなあ…それでもこの感想文は加筆修正せず、このままにしておこうと思います。

 

さーてさて!勉強をするぞ!(地獄)

 

 

 

 

おしまい